「話を聞いてあげるだけでいい」とよく聞くセリフです。
話し方、聞き方の本などを開いてみると、大概書いてある言葉です。
しかし、それが難しい
「話を聞いてあげるだけでいい」というのは、
話を聞くのは簡単なことだ、そんな簡単なこともできないお前が悪いという認識がはいっています。
話を聞くのは難しい行為だと知る
話を聞くのは難しい行為です。疲れる行為です。
傾聴するというのは、もっと大変な行為です。
そう言われてみると勘ずいているとおもいますが
あなたは人と話した時に疲れていませんか?
自分が話したいことを話した人は、スッキリしたと感じるかもしれません
ですが、他人の話を聞いている時は、ストレスが溜まっていると思います。
・自分の話をしたいのに、抑制する労力
・相手が何を言いたいかを把握する労力
・相手の今の気持ちを把握する労力
・相手にに対して、どのようなことを言えば正解なのか探る労力
・頷きのタイミングは、いつ頃が適切かをはかる労力
もっとあるかもしれませんが、これだけの認知負荷を一気に受けることになります。
会話の労力が低い相手が、一緒にいて疲れない相手と言われているわけです。
相手の話中に自分の意見が言えて、相手の言いたいことが簡単に把握できて、相手の気持ちを考えなくてもいい間柄であれば、疲れにくいというわけです。
自分と違う人との会話は特に疲れる
立場が違う人間との会話は認知負荷があがるので、さらに疲れます。
子供との会話はつかれます。
上司との会話、部下との会話は疲れます
異性との会話は疲れます
男女の脳は大きく違うという事は、社会に浸透してきていると思います。
つまり、異性の話を聞くことは認知的負荷が大きい作業です。
相手には多くの労力を求めます。
それなのに、皆は言います「話を聞いてくれるだけでいい」と
「話を聞いてくれるだけで救われる」と
しかし、このセリフは100万くれるだけでいい、100万くれたら救われると言っているのと同義です。
これは、100万円を稼ぐのがどれだけ大変かを知らない人のセリフです。
そして、断られたら思うのです、そんな簡単なこともしてくれないなんて、自分は愛されていないのではないかと。
自分が一番相手の話を聞けてない
「話を聞いてあげるだけでいい」というのは、
話を聞くのは簡単なことだ、そんな簡単なこともできないお前が悪いという認識がはいってと言いました。
少しばかりは、自分にとっては会話は簡単なことだという認識がはいっているというわけです。
なぜ、そういう認識が少しあるのかというと、自分が相手の話を聞いてないからです。
相手の気持ちが言いたいことを考えずに、自分の話だけしているのを、相手の話を聞くだと考えているからです。
話を聞くことは重労働だと認識し、聞いてくれなくて当然と考え、聞いてくれる相手には最大の感謝をしましょう。
